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メキシコシティからの地震レポート

メキシコシティを襲った大地震からちょうど1週間、やっとご報告が
できる状態になりましたので、レポートをお送りします。
執筆は日墨協会事務局勤務Aです。

 2017年9月、メキシコは3回にわたり大きな地震に襲われた。1度目は
7日深夜、チアパス州フチタンを震源とするマグニチュード8.2の大きな地震で、
800キロ離れたメキシコシティ、火山岩の上に立つ私の自宅でも揺れを感じた。
天井から垂れる長いコードの電球が左右にユラユラと揺れたが、近隣住民が
外にでてくる気配もないので、そのまま眠ってしまった。

 翌朝、現地で建物が倒壊した生々しい写真が多く報道され、地震の大きさを
知った。日墨協会では義援金を募集、有志が現地入りし、必要物資を提供する
ことになった。

 それから12日後の19日13時14分、メキシコシティの隣、モレロス州
アソチアパンを震源とするマグニチュード7.1の地震が発生した。
奇しくも32年前メキシコシティを襲った大地震と同じ月、同じ日である。
発生時、私は事務所にいたが、すぐに駐車場に飛び出した。日墨協会の広い
駐車場の上はまるでトランポリンのようで、私は呆然として車、事務所内の
電球のカサが左右に揺れる様を眺めていた。家族を心配し、泣きながら避難
してくる者や、気を失った従業員もいた。

 直後、電話、電気は全て不通となったので、車のラジオをつけながら
SNSで友人と安否を確認しあった。今回被害のひどかったローマ、コンデサ
地区で建物が崩壊しているというニュースが流れたが、私が住むシティ
南西部では電気もインターネットも使えているという情報を得たので
帰宅することにした。

 帰宅路は、家路を急ぐ車の列で渋滞が続いていた。バスが来ないので
徒歩で帰宅する人も多くいた。途中、友人たちから倒壊した建物、煙が
あがるメキシコシティの街並みの写真が続々と送られてきた。いつもの
3倍の時間をかけて自宅に戻ったが、幸いうちはいつもと変わらなかった。
インターネットでライブニュースをつけたが、人々が地震発生直後から
倒壊した建物のまわりに集まり、流れ作業で瓦礫を撤去している様子が
流された。がれきに埋もれた被災者の声が聞こえるようにと、両手こぶしを
上に上げ、「静かに」というジェスチャーが何度も繰りかえされた。
メディアは真夜中も中継を続け、翌日は学校は全て休校、無用な外出は
避けるようにと繰り返し伝え続けた。

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 メキシコ政府は日本政府に救助隊の派遣を要請し、21日、72名の
国際緊急援助隊のメンバーが到着した。彼らは日墨協会を本部とし、
メキシコ政府の指示で数グループに分かれ、順に被災現場に出動していった。
 この日、建設機械を世界に展開する「コマツ・メキシコ」の副社長、
H氏が来館、救助隊への重機の無償援助を申し出られた。

 翌日、重機貸し出しに備え現場視察を希望する橋本氏に同行し、日墨
協会カメラマンO氏とともにトラルパンの現場に出向いた。倒壊した建物は
トラルパン通りに面する1957年に建てられた公営団地で、11の建物から
構成されている。倒壊したのは団地の敷地内中心に位置する、近隣住民向け
へのカルチャーセンターを擁する建物で、この付近で生まれ育った私の友人も、
幼い頃はここで英語を習っていたという。

 倒壊現場から500メートルほど離れたところに駐車し現場へ向かう途中、
多くのボランティアとすれ違った。家族親戚一丸となって食事をふるまう人、
コーラを配る人、揺れでさらに倒壊が進むのを避けるため、今は運行停止と
なっている、近くを通る電車の再開をやめるよう周知を手伝ってくれ、と
声をかけてくる人、その間にも水やジュース、サンドイッチなど多くの
物資が届いていた。
 日本からの救助隊は在墨中、ほとんどをこの現場での活動に終始した。
救助犬はがれきの下で震えていた犬を発見した。

 また、ポルタレス地区の現場で遺体が運び出される際に、日本からの救助隊の
メンバーがヘルメットを取って黙祷した映像はメキシコのニュースで
繰り返し流され、メキシコ人だけでなくメキシコに住む日本人の心にも訴えかけた。

mex01.jpg

 5日後の23日7時53分、メキシコ市中を警報が響きわたった。
事務所にいた私はまた慌てて駐車場に飛び出したが、幸い揺れなどは感じなかった。
ニュースでは8日の震源地から20キロほどしか離れていないオアハカ州
ウニオン・イダルゴを震源地とし、マグニチュード6.1の地震が起こったと
報じていた。
8日の地震から2週間、まだ何の復興も行われていない中での再度の被害だった。

 この日の午後、メキシコシティ東西を横切るビアドゥクト通りを車で走った。
今回被害の多かったローマ・スール、ナルバルテ地区に位置する建物の外壁が
剥がれ落ち、部屋の中が丸見えになっている建物を散見した。それまで一切被害の
なかった自宅と職場しか往復していなかった身にも、今回の地震が現実のものと
して見えた。

 今回被害の大きかったローマ、コンデサ地区は、レストランやカフェテリアが
ひしめき合うメキシコシティでも有数の繁華街である。ヒップスターと呼ばれる
現代感覚に敏感な若者たちが集い、この地区に住むのがステータス、と憧れを
募らせる地区でもあるが、地盤が弱いことで有名である。
今回建物が倒壊し、メキシコだけでなく各国の救援隊が
救助活動に働いているローマ・ノルテ地区にあるアルバロ・オブレゴン通り
286番地は多くの人が生き埋めになった。
 通りの向かいに位置するピザ屋は週末の土曜日から営業を始めた。
さすがのメキシコ人も、そこではピザを食べビールを飲む気にはならなかった
ようだが、別の通りのレストランはいつもと同じく若者で賑わった。

 メキシコシティではあちこちで救援物資受付所が開設され、水、日用品が
山のように届けられた。食べ物は腐るので持ってこないで欲しい、とニュースで
繰り返し呼びかけられるほどだった。
 
 地震が起こってから、さまざまなデマや憶測が飛び交った。地震直後の
帰宅渋滞の動けない車の運転手を狙って、強盗が何件も起こった。
ボランティア活動に出向いたところ、昼日中から強盗に襲われた、住民が
避難した無人の建物に泥棒が入っているという話も聞いた。建物の安全を
確認すると言って家の中に入ってくる押し込み強盗への警告も出回った。
日本からの救助隊のニュースが流れると、まだメキシコに到着していない
にもかかわらず、「現場に到着して言葉が通じず何もせずに帰った」「通訳が
足りていない、至急どこそこに来てほしい」といった根も葉もない噂に
我々は頭を痛めた。また、メキシコ政府と民間防衛団体(Protección Civil)の
機能不全にて、救助隊が十分に活躍できなかったという記事が出回ったが、
あながち全て嘘ではない。

 メキシコは傷だらけになった。私たち誰もがこの国の復興を願い、できる
だけ早く日常を取り戻したいと思っている。
 
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